パーフェクトウーマン

 

『私、パーフェクトウーマンじゃないから

素敵な男性には出逢えないし、

こんな私は結局愛されないんだな、と思ってるんです。』

 

時々、こんな風に

 

【パーフェクトじゃないから愛されない】

 

というような内容のご意見を聞くことがあります。

 

このパーフェクトな人…というのは、非の打ちどころがない人、

 

ネガティブに感じるところのない人ということなのでしょうが、

 

自分に対して『もっと〇〇だったら良かったのに…』

 

という願望を持たない人はきっといないですよね。

 

 

さて、冒頭の画像…オードリー・ヘップバーンですが、

 

オードリーはコンプレックスだらけだったそうです。

 

大きな目も、高い鼻も、痩せた身体も嫌いだったのだそう…。

なんなら変わって欲しいのに(笑)

 

結局、そんなコンプレックスを受け入れ、隠す方向ではなく、持ち味として表現したことによって

 

多くの方から愛される女優としての人生を歩まれたのですが…☆☆☆彡

 

 

 

 

自分には何かが足りないから愛されない、とか幸せになれない、というような考え方をしてしまうものですが、

 

【愛】や【幸せ】は、それを得るための資質を求めてきたりはしません。

 

『愛されるためにはそれなりの資質が必要なんだ!』と、

 

自分に対してその資質をジャッジするのは、あくまでもその人の価値観です。

 

実際には、足りない部分があっても愛されます。

 

自分が好きではない部分を他者が褒めてくれることだってあります。

 

 

確かに、その時の社会の風潮などで、より評価されるタイプというのはあるでしょう。

 

現代の日本だと、まだまだ男性はステイタスや収入などで評価される、と感じるかもしれませんし

 

女性の場合は、若さや、外見が美しいほど愛される、と考えてしまうかもしれません。

 

もちろん、それらの部分は愛される要素になり得ますし、他者に認識されやすい部分ですから、

 

そこにこだわってしまう事がダメなわけではないですが、

 

【愛されるかどうか】という観点からすると、ほんの入り口みたいなことでしかないのです。

 

 

 

ちょっと飛躍した例えかもしれませんが、

 

血統書つきの動物と雑種の動物で飼い主から受ける愛が変わるでしょうか??

 

どちらの動物も、とても愛される可能性もあれば、捨てられる可能性もあります。

 

飼い主との関係性によってどんな状況にもなり得ます。

 

外見や血統などで【愛】の質が変わるのではなくて、それはあくまでも好き・嫌いの範疇です。

 

ですから、ステイタス、収入、外見なども、好き・嫌いの類なのです。このように言うと、

 

『えっ?好きって事と愛は同じじゃないの?』

 

という意見が聞こえてきそうです。

 

 

 

確かに、感覚としては似ているものですが、同じでもありません。

 

好きなものに愛が湧く可能性はもちろん高いですが、嫌いだと思っていたものに愛が湧くこともあります。

 

好き・嫌い、はその時の自分の価値観や好みですが、

 

愛は感じている感覚です。湧いてくるものなのです。

 

 

気付いたら、かけがえのないものになっていたという状況があったなら、

 

その関り合いの中で【愛】は生まれていて、好きだと思った対象がその【愛】により、

 

他とは比較しようのない、かけがえのないものになっているのです。

 

 

 

その上、【愛し合う】ということはお互いの気持ちが循環している状態なので、

 

関り合うことで初めて成立します。

 

以前は好きじゃなかった相手の癖やしぐさ、外見までもが、関り合うことで

 

愛おしいと感じることもあるのです。

 

 

 

それなのに、関り合う前に『パーフェクトじゃない私なんて愛されない』

 

と、決めてかかる必要があるでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

アナタが愛されないと感じるのは

 

パーフェクトではないからではなく

 

そのままのアナタで関り合うことを

 

諦めているからなのかもしれませんよ♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017 / 5 / 11    kyoko