最期の感謝

 

先日、お知り合いのAさんが、

15年以上連れ添った愛猫ちゃんが亡くなったと教えて下さいました。

 

高齢で重い病気になったことで、晩年は毎日のように通院しながら苦しみを伴う治療もあることから、

『この治療を続けることはこの子のためなのか、それとも私の身勝手な想いなのだろうか』と葛藤されていました。

 

 

余命を意識しながら

『本当にわが子のようなこの子を失ったら私は正気ではいられないのではないか…』

と思っていたそうです。

 

そしてとうとうお別れはやってきました。

その日から数日は思い切り泣いたそうです。

 

『それでね、気付いた事があるの。』と、Aさんは続けてこうおっしゃいました。

 

『正気でいられなくなるほど執着心が出てくるのではないかと思っていたんだけど、

最期はありがとうって感謝の気持ちしか出なかったの。

もう触れ合うことはできないし、そりゃ悲しくないわけではないんだけど…

あの子から沢山愛されていたなぁ、ってすごく感じてるし、

今も愛してくれているってわかってる。

会いたい気持ちはあるけれど、

でも、苦しい気持ちよりも、感謝しかないの。

自分があの子を守っていたと思っていたけど、

沢山私も守られて、愛されていたんだ、と心底感じられたの。

不思議だけど、そんなに寂しくないの。』

 

聞いていて胸が熱くなりました。

 

Aさんが『わかった事』とおっしゃったのは、

ご自身と愛猫ちゃんの間の関係性において、

肉体を失うという寂しさが想像していた以上に少ないという事。

愛によるつながりが現在も続いていて、

そこには失うという概念はなく、

自分の中にあり続けるものだという事。

 

まさに愛し合っているのですね。

 

 

人間社会の目線から見ると、

人は動物を飼う立場(愛を与える側)ですから、

猫ちゃんは育てられる側(愛を受ける側)

という関係性のように思われがちですが、

 

動物が飼い主から愛されている事を

ちゃんとわかって信頼してコミュニケーションしてくれる時、

その信頼という愛を、飼い主もいつも受けとっています。

それは、言いかえれば、動物から愛を与えらえているという事です。

 

目に見えずとも重ねてきた

そのコミュニケーションは

肉体としての存在があろうがなかろうが

消えることはなく、

相手を想えばそこには自然と愛があり、

心の中では同じようなコミュニケーションが続いていくのですね。

 

 

 

触れ合って存在を確かめ合える、命のある時間。

それはとても貴重なものですが、

命が終わってもずっと消える事のない愛がある事を

愛猫ちゃんとの関係の中で体感として気付かせてもらったと

お話しして下さったAさん。

 

その時、愛猫ちゃんも天国で…

『そうだね』って

頷いていたかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

愛は誰の事も傷つけない

 

それはきっと

 

真実なのでしょう。

 

 

 

 

2019 / 6 / 30      kyoko